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使徒の働き17章16〜34節 『私たちの信じる神』  (2013.7)


 これは、使徒パウロがアテネの町にいた時の出来事です。当初、アテネはパウロの伝道計画にはありませんでした。シラスとテモテと待ち合わせをするためにその町にいただけでした。ところが2人を待っている間、アテネの町が偶像でいっぱいなのを目の当たりにして、その場を去るわけにはいかなくなってしまいました。聖書には「心に憤りを感じた。」(16節)と記されています。パウロはとても穏やかな気持ちではいられなくなってしまったのです。しかし、その時の心の憤りというものは、単なる感情的な怒りではなかったでしょう。むしろ、生けるまことの神を知らない人たちに対する悲しみとあわれみの憤りだったのではないでしょうか。そこでパウロはさっそくアテネの町の人々との関わりを持ち、まことの神がどのようなお方かを宣べ伝えていくことになりました。
 アテネにおける伝道、それはパウロの計画ではなく、不思議な神様のご計画と導きによってはじまったのです。神様は私たちの思いもよらないところに伝道の機会を備えていてくださるのです。

1.愛と知恵を用いたパウロ
 まず、このストーリーから教えられることは、パウロが愛と知恵を用いてアテネの人々と関わって行った、ということです。彼は心に憤りを感じたからと言って、感情を爆発させたのではありませんでした。議論好きなアテネの人々の性格に合わせて、一緒になって議論の場に参画しました。しかも、アテネの人々を批判したり非難することを避け、むしろ「あなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。」(22節)と敬意をあらわしながら、何とかきっかけをつかもうと努力しました。そしてついに『知られない神に』と刻まれた祭壇を見つけ、それをきっかけとして生けるまことの神がどのようなお方かを語りはじめたのです。
 このパウロの姿勢の中に愛と知恵が示されています。いつも覚えていなければならないことは、たとえ異教徒であっても、神によって愛されている人々である、ということです。それゆえ、毛嫌いするのではなく、対立するのでもなく、愛と知恵をもって接していくのです。

2.生けるまことの神とは
 ここでパウロが語って生けるまことの神について整理してみましょう。
◆天地万物の創造主、天地の主
 つまりパウロは、まことの神というものは、像に刻んだり、宮に閉じ込めておけるような小さなものではないという、スケールの違いをアピールしました。
◆我々にいのちと息を与えられたお方
 アテネにある神々は、人間の想像の産物でした。人間が作った神が神なのか、人間を造った神が神なのか、ということを考えさせようとしたのです。
◆ひとりの人からすべての国の人々を造り出した神
 当時アテネの人々は偏見を持っていました。自分たちこそが立派な民族で、他 の人たちを野蛮人だと見下していました。だからこそパウロは、すべての人がひとりの人(アダム)から造られたということを強調したのです。
◆歴史を支配し導かれる神
 まことの神は、昔も今も後も永遠に変わることのなく、人類の歴史を支配し導いておられるお方です。
◆審判者であられる神
 まことの神は、やがて世界をさばくために日を決めておられる審判者であられるお方です。

 だから、神をたずね求めさえすれば見いだすことができる。神は決して人間の手の届かない、はるかかなたにおられるのではなく、神を求める者の近くにおられる。私たちは、神の中に生き、動き、存在しているのである。そのように迫っていきました。
 結果はどうだったでしょうか。ある者はあざ笑い、ほかの者たちは「このことについては、またいつか聞くことにしよう」と言いました。しかし、パウロにつき従って信仰に入った者たちもいたのです。

  ここから改めて、私たちの信じている神様について確認しましょう。そして、パウロのように愛と知恵を用いて、機会をとらえて、語り続けていきましょう。結果は神様におまかせして。

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